芸道芸能/今(1)  
2001.06.01

その一 伝統芸能と時代の変化
◆変革の嵐

高層ビルから見た東京 先日、内閣が替わり、「変革」の名の下に、世の中は日々刻々と変化しつつあります。この流れに逆らって旧体制を維持して行きたいという人にとっては戦々恐々とした日々になるかもしれません。
 私達の舞踊界も、伝統の立場と、世の中の流れがあまりにも速いという現実の狭間にあって、舞踊家として戸惑いを感じる向きも多いかと思います。

 こんな時代なればこそ、たとえどんなに苦しくても、大きな理想を燃やしながら、お互いが励まし合って生きることの大切さを感じます。
 私の様に舞踊家として半生を過ぎた者はともかく、次の世代にこの道を生きる若者たちに、どのような機会と指針を提示すべきか、その責任を痛感します。

 日本舞踊は今後とも時代を経るごとに変化発展していかなければならないものです。停滞すれば自然に腐っていくでしょう。国も政治も経済も、社会のすべての機構にも変革の嵐が吹き荒れています。
 例え舞踊界と云えども、その流れに我関せずであったり、あるいは敢えてこう申しますが、“伝統にあぐらをかいてしまう”ようでは、これからは取り残されて行きます。

 大切な事は、芸道精進と共に、それぞれが確固たる舞踊に対しての信念と、大局的な立ち場での理念を持つことだと思います。

◆伝統と感性の心は奪われない

 今から55年前、世界中を苦しみに巻き込んだ太平洋戦争は集結しました。そのことにホットしたとは言え、同時にこれまで信じてきた価値観も崩壊し、昨日までの白と黒が逆転する中、ほとんどの日本人は心がずたずたになって無明の闇に彷徨っていました。
 当時この事で、父と話した事があります。父はこのように申していました。「確かに日本は国破れ、占領軍に支配される国家となってしまった。しかし戦勝国の人々に、すぐ常磐津が語られ、三味線が弾かれるか!…」
「日本人の心、日本人の伝統、日本人の情感は、誰にも奪われない。これが伝統の強みであり不死鳥なのだ」と、酔った勢いであったと思いますが、そう話していたことが妙に記憶に残っています。そしてこの状況は今の時代にも当てはまるのではないでしょうか。  

 時代を謙虚に見つめながら、媚びるわけでもなく、また頑なになるわけでもなく、本質をしっかりと踏まえた上で斯道に精進すれば道は必ず開かれると思います。  

◆どの時代にも対応して生きる

 戦時体制下では、その目的にそぐわないとされるものは禁止あるいは束縛され、踊りはもちろん古典的芸術的な情緒のある三味線の音でも、外にちょっとでも漏れたら最後、「この非常時に!非国民」と世間から糾弾される時代でした。
 したがって戦争中は軍歌を踊り、戦後は歌謡曲であろうと、民謡であろうと、何であろうと、その時代を生きるための踊りが全てとなります。

 後の世の観点から個々の価値判断をすることよりも、踊り手として自らの誇りをかけて、その時代に精一杯舞台を勤めてこられた方々がいらっしゃったことが、現在の伝統としての日本舞踊への道筋をつけてこられたのだと、心から尊敬しています。
 自分自身の心の持ちようを大切にしていれば何にも怖くないはずです。

 私白身家庭を持った頃は、随分と地方において色々な舞台の経験を致しました。
 お客様にクレームは出来ません。悔しくても反応は正直なものであり、心打たない舞台の時はやはり背を向け、莫産(ござ)ムシロに寝ころび、酷いときには舞台を横目で見ながら手拍子を叩きます。
 焦れば焦る程舞台と客席は遊離し、空しい空気が流れ居たたまれ無くなってきます。

 それでも汗をかき自分の能力の限界にまで挑戦しながら、心を平穏に保って舞台を勤めなければならない経験など、すべてが振り返るといい勉強となりました。

◆てめえら静かにしろいィ!

 戦後間もなくのお話ですが、今では著名となったある女性舞踊家が、東北の会場で巡業公演した際に、あまりの客席の騒ぎに耐えかねて、舞台上で踊りながら「手前ら、静かにしろイ!」と怒鳴ったというエピソードを聞いたことがあります。
 おそらくお客は木戸銭を払って観てやっているのにという気持ちだったのでしょうが、舞台から怒鳴られて呆気にとられ、その覇気に息を飲んで最後まで静かに舞台を観ることになり、最後は万雷の拍手で幕を閉じたそうです。

 この方は自分自身の芸の“誇り”を、せめて観て頂きたかったため、思わずこのような言葉が出たのでしょう。
 今の劇場はどこもかしこも全部椅子で正面向き以外出来ないように固定されています。本当に舞台人として有り難い事ですね。莫産(ござ)のお客様は一番怖いです…。 
 戦後から、昭和30年代頃までは、学校の講堂か、地元の映画館で舞台公演すること数多くありました。もちろん立派な所作台も大道具もないのですが、どんな環境でも、常に最善を尽くす以外にはないといえます。   

 “ぼろは着ても心は錦”の舞台にかける誠意と精神は、これからの時代に飲み込まれない最も大切な財産となるでしょう。
 どんな場合でも(古典であろうと、演歌であろうと、民謡であろうと)、その方の舞台人としての誇りと品位を大切にし、お客様の心をつかむ「何か」を表現できるのならば、それは尊敬すべき対象であり、決して上演曲種別の貴賎はないと思います。


その二 宝塚歌劇団振付助手物語

宝塚には、
昭和三十四年七月公演、月組。
北條秀司作演出
花柳徳兵衛振付
「浅間の殿様」

昭和三十五年二月公演、花組。
鴨川清作演出
花柳徳兵衛構成振付
「わらべうた風土記」

昭和三十五年三月公演、雪組。
高木史朗構成演出
花柳徳兵衛振付
「扇」

以上三組三つの作品において、師匠の振付助手として、兄弟子共々伺いました。

 宝塚は、わたしにとって初めての大がかりな舞台構成の体験です。スターは勿論生徒さん。それぞれが技術の高い表現力があり、稽古に際しても謙虚な姿勢で、先輩後輩の立場を弁えた礼儀正しさも加え、非の打ち所がありません。この心地よさには驚きました。そしてそこには現在でも活躍している女優の方々がキラ星のごとくいらっしゃいました。

 納得がいくまで粘る作者、演出スタッフと、本番直前までもダメ出し。台本という無機質な紙をもとに、宝塚ホテルでは連日深夜まで、翌日の振付場面の打ち合わせが続きます。 そして極彩色の世界が生み出され、初日の幕開きとなるわけです。

 そこでの踊り手は、完璧すぎる程の舞踊表現力があってもまだ先を要求される厳しさの中にあります。宝塚の大スター春日野八千代さん、月組の組長美吉左久子さん、皆さん立派な方々でした。

 ただ一つだけ気になったことは、技術力がかえってアダになってしまっているのか、群舞でそれぞれの役柄で振りを揃えずに不協和を演じることを意図されている場面において、皆がどうしても完全に揃ってしまうという事がありました。これは贅沢な悩みではありましたが。

スミレ 内弟子仲間には、若き美人集団に囲まれて竜宮城の浦島太郎の様だったろうと揶揄されましたが、現場では、全員が次のスターを目指していますから、真剣そのもので、振付意図を説明する一言一言を聞き漏らすまいとする気迫には、こちらも真剣勝負。うっかりしたことは言えません。
 むしろ気の張りつめた緊張の日々でした。それでも凄いのは、先輩後輩問わず真面目であり、例え疲れていてもそれを顔には出さずに嬉々として稽古を重ねる清新な姿勢には感銘いたしました。 

 昨日六本木の書店に立ち寄ったとき、たまたま宝塚出身の某氏の本に触れました。そしてその頃新人で張り切っていた45期の方がすでに亡くなられていることを知り、愕然と致しました。
 かれこれ四十年程前の話ですが 舞台に輝いておられた方というのは、何年たってもその面影は当時のまま、若く美しくそして優しい印象とともに、私の記憶の中で生き続けています。懐かしい鴨チャンと共にご冥福を祈っています。
 また現役で宝塚の未来を担ってらっしゃる、植田紳爾先生の益々のご活躍を舞踊界の一隅から期待致しております。

 私の従妹もSKDでトップダンサーをしておりました。いつも彼女の舞台を見ては、従兄としてダメ出しをしたりしながら、お互いに研鑽をしていましたが、やはり病で天に召され寂しい思いです。 従妹は私の筆頭名取でもありました。
 それでもあの華やかな舞台で精一杯青春を燃え尽きさせることが出来たのは、幸福であったかも知れません。

 舞台に生きるというのは大変な事です。私も今日、日帰りで仙台某会場での舞台を勤めて参りました。
 この一期一会の中で、お客様の記憶によき印象として残って頂ければ、それは私自身の今日を生きた証として嬉しい限りです。
     
 さてここまで書いてきて、あえて今にして思うところを申し上げますと、宝塚の“清く正しく美しく”は、確かに一つの修行過程の姿勢として素晴らしい面だと思います。    
 然し、つまり表現者としての世界では、生の「人間」を素材とする以上、それだけでは視野が狭くなり、特定の夢物語しか描くことが出来なくなる可能性も生まれます。もちろんひとときの夢物語を観る側が期待しているという意味で、それなりの意義はあるかとは思いますが。

 これだけの表現技術を持った集団が本気になって「清く無く、正しく無く、美しく無い」人間の根源を、不条理さを無情矛盾を作品として挑戦した場合、これに太刀打ち出来る表現者チームは、日本いや世界にも無いのではないかと・・・、そんな期待を膨らませたく思います。

 一人一人のキャラクターをゴチャマゼ゙にし、且つ強調ししながら、きちっと揃うことが不得手な、宝塚舞踊チーム。そんな事を勝手に夢見ています。

 卒業生退団者の方々で編成したらどうでしょう?世界に翔る、舞踊芸術特選チームOB-TAKARAZUKA。オットこれは失礼致しました。OH!TAKARAZUKAでした。
段々止まらなくなって来ました・・・・・・・・・・・・(笑)。 ごめんなさい、植田先生。

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