花柳徳兵衛師に入門して

花柳琢兵衛師に聞く
インタビュア:平野英俊氏
平成四年、邦楽と舞踊 誌(11月号)に掲載

日本舞踊の危機

●平成元年三月に、サントリーホールの主催で「伝統の響“舞踊”による四季」の催しがありました。そのとき琢兵衛さんはプロデュースをなさいましたが、お好きなんですか。

好きなんです。日本舞踊というのは、自分たちはそうは思ってないないのに、どうも一般社会の活動と繋がらない。ごく普通の企業なりが求めた場合、すぐ企画対応出来るように、そして仕事として成り立つような事は常にしたいと思っています。

この企画はサントリーホールから、持ち出されたのですか。

そうです。途中に企画会社が入っていますが、其処をとうして、私の担当したのはお能と日本舞踊で、声明のみ別でした。
こうい苦労は楽しい仕事です。舞踊界最高峰の方にご出演頂き、最も贅沢にやれて而も喜ぱれました。

今まで、日本舞踊に関わりのない人や、社会をとにかく引き入れる作業が、今の日本舞踊界に叫ぱれているんですね。その時に徳兵衛先生の持っていた時代をキャッチする力というものの必要性を、僕はすごく感じるんです。そのためには何をしなければいけないでしよう。

それは全くそうです。どうしても私達は一つの社会に籠もってしまうんですね。もっと社会との接点を仕事の場で開拓しなければ、私達自身が動かなければ、向こうから手を差し出して呉れないと思います。

二十代、三十代の日本舞踊家の活動というのは、一本のレールを歩いているように思います。日本舞踊協会の新春舞踊大会、創作舞踊劇場の出演、そして日本舞踊協会公演に出演する・・・・・。社会をキャッチするものがまるでない。

日本舞踊はその意味でも、足場を失いかける今、危機だと思うんです。何か日本舞踊という言葉も実際曖昧な言葉でしょう。
全て歌舞伎舞踊かと思うとそうでも無いし、日本の舞踊と云うのが一番適切の様な気がしますが、突き詰めると、この言葉も又曖昧な言葉になりそうだし、歌舞伎舞踊だったなら歌舞伎舞踊一辺倒でもいいけれど、ではこれから先は。
歌舞伎舞踊。日本舞踊。日本の踊り。互いに問いつめて早急に考え把握しなければならないと思います。でもでも日本舞踊は素晴らしいものと私は思っているんです。
世界に冠たる舞踊であり、芸術分野だと、何が冠たるかというと、歌舞伎舞踊のように、伝統的な様式美のキラキラさもあり、日本人特有の、死生観も大切な劇的要素として、語り四季折々の、月雪花の美意識もあり。
その上踊りに、哲学があると思うのです。余白の美小さな宇宙の表現心の発露、情感の漂い等そのことだけでは、ないけれども世界にない特質をより多く学ばなければ、ならないし、そのことを大切に思っていないと、日本舞踊は描写のなぞるだけに終わってしまう訳ですね。こんな偉そうな事を言ってはいけない事ですが。
ある舞踊家が、素晴らしい踊り手だというと、みな一様に模倣するんです。それはその方その踊りにたいする思想があって、その方のキャリアがあってその人の体型があって形づくられその踊りが出来上がると思うのです。
だから千差万別というか、一人一人によって違うと思うんです。日本の芸は、個に生きて個で消去、だからその踊りが芸が素晴らしいんで、パターンは個々だと思うです。
その意味に於いて、日本の踊り特に素踊りの分野は、踊り手の思い描く情感を文字でも表せない言葉でも表せない、でも踊りだったら表現出来る技法があり、酉欧の踊りは、技法、技術を最高のものとして、勿論それ以外の方もいるとは思いますが。
日本舞踊は、その人のものの考え方、人間性がもろに舞台に出ますでしよ。
表面だけ模倣してもせんない事なんです。その意味に於いても、日本の踊りは、心を伝えるより高度の技法というか動作がすごくあるという事です。

種類がいっぱいありますね。

一つの表現方法でも、舞台にその人なりの小宇宙を表現出出来るんですね。それを会得するのは、やはり個々の問題でしょ。
年月とか、個性とかその人の生き方ものの考え方が常に裏打ちされて生まれるものと思います。
私は、優秀な舞踊手でありたいという願望を常にもっています。「踊り屋さん」にはなりたくない、在庫豊かな舞踊手にはなりたい。
まだまだできませんが、常に思っているのはそこなんです。これはAからBえBからCえと伝承できないものです。その人が現われて終われば消えてしまう。それが最も日本舞踊の特殊性というか、大切なものだと思いますだから、その為にも、我田引水ですがオール野次馬なんです。朝起きてから寝る迄。なんでも興味を持つ、何でも好奇心を抱く、家内は呆れています。それが一番自分の心を新鮮にしておく原点だと思って。

徳兵衛先生という人もそういう人だったんですかね。

ある方とない方に分ければ、ある方ですね。だから突然、政治にのめり込んだり、先生は、お止めになったほうがと我々が申し上げても出ていって。

そういう好奇心があったからああいう作品をどんどん次々生み出す創造力に。

一つの側面だと思います。

徳兵衛舞踊学校のこと。

徳兵衛舞踊学校

徳兵衛舞踊学校設立について、反対なさった言うことは。

舞踊学校というのは、すごくいいとは思うんです。その当時あたまに企業なり、法人があって、要は学校というと舞台の公演と違って半永続性のあるものだから、経営として成り立つものでなけれぱいけないのが、当然、開校した以上は学生が入ってしまう訳だから卒業するまで、責任があります。徳兵衛先生が経営者として、而も校長を兼ねた場合は、行き詰まると思っていたからです。
ですから国が補助するとか、企業があって文化振興の一つとして経営は、そちらがやって、実技にのみ専念として、校長をなさるならと思い、経営をなさるのは、絶対お止め下さいと云ってずうと反対したのです。それで先生にお前は俺の夢を理解していないと言われて、回りを見たら私だけが、反対していたのでした。

その気持ちは解りますけれども、将来的には。

先生の背中を流したり、十二年も内弟子していた私が、先生の為を思わないで言う訳はないのです。でも先生の夢の足を引っ張た事は事実理解して頂けなかった事は残念でした。それから、門弟として独立せざるを得なかったのです。噂を聞くにつけ、早く閉校して経済的負担の苦しみから逃れてくれればと陰ながら念じていました。でも先生は思うことをなさり、ご自分の夢を実現したことは事実ですから、開校後数年は幸わせであったと思います。

でもそういう苦労をせず長生きして、いい作品を一つでも多く創り、私達に残してくれた方が、より嬉しかった、という気持ちは消しかねて今でも心残りです。
だからその後追善の度に、血筋は一人もいらっしゃらないのだから、門弟の中から誰かが、二代目徳兵衛を継ぐと必ず一門が主流、反主流ができ、釈迦の恥かしめとなってはいけないという言葉を思い出し、よし全員が、僕が私が、二代目徳兵衛と思い、精進して例え苦しい時も楽しい時も支えあい、励ましあっていこう。それは成功したと思います。

面白い考え方ですね。

私達「徳兵衛衛門会」は、皆二代目徳兵衛ですからどの方向に進もうとも競争相手です。

花柳徳兵衛を失ったことは、戦後の舞踊界を思う時、すごい不幸ですね。
徳兵衛師は、日本の舞踊を創り上げた。
しかし、その後を継ぐ人がいない。
つまり、スター的な人がいないんです。
歌舞伎という社会とは全く離れた舞踊家としてのスター、それが欲しいですね。

これは本当に難しい問題だと思うんですけれど、流派を越えてスターを育て、社会に押し出す事が大切です。制作者でも演出家でも、それを皆で盛り上げていくという、それは大変難しい事なんだけれども。

踊り手で無くともいいんですよね。演出家でも。先頭をきって引っ張っていくひとが誰かいればいいですね。

だからそれは。正直申し上げてものすごく危険なことでもあるけれど、それはやりたいですね。

本当にお願いします。有り難うございました。

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