慟 哭

慟哭舞台
慟哭舞台

第九回芸術祭文部大臣賞受賞

をどり随想 (昭和27年10月5日)
花柳 徳兵衛
慟哭(舞踊構想)

徳兵衛肖像昔と云っても拾五、六年前のこと、南支那海を航行中、月のいい甲板上で、パーサーから、次ぎのような話を聞いた事がある。船の中で亡くなった人を葬る場合は、各々の国の国旗で包んで、足に錘をつけて、静かに祖国の方に向けて水底へ下ろし、汽笛を吹鳴らし乍らその廻りを三回、廻ってお別れをするのが儀式だと云う事だつた。話を聴いて居る中に、月の光も届かぬ様な深い水中には、鹽分と、水温の関係で、永遠に腐ることなく幾多の屍が、樹木の様に立つたまま、祖国の方を向いて幽暗の中に、ゆれ動いて居るのではないかしらと言う事が想像されて来た。
水浸屍とはこうしたものだろう。生けるが如く、ゆれ動いて居るが、祖国へ寄せる思慕の情は声無き慟哭となって風に、浪に、乗って流れて来るのだろうと考えた事があった。
 さて足利期から創り出された能楽の中に修羅物と云う部門があって、死者の霊魂が再現して来て、戦場の修羅の有様を語り聞かせる。只、単に物語ったと云う事に依って、行きつくべき安住の世界に行かれると云う考え方が行われて来て居る。
 今度の戦争で、南海の黒潮に、又大陸の山野に、散華した幾多の人達の事を想う度に、その慟哭の声に魂をゆすられる想いがしてならない。香輩も、否一杯の水も、手向けることの出来ない地名さえも分らぬ処で倒れた人達が話したい事を、伝えたい事を定めし胸に抱いたまま…………こんな月の晩には、と考える毎に、胸に持っている叫びを聞いて上げたい、ありったげ聞いてあげたい、そんな気持がして矢もタテもたまらないのです。
 それでこの考え方を一つの作品にまとめて発表することにしました。さてどの様に出来上ることでしようか、是非御覧願いたいと思います。
十二月十二目新橋演舞場です。
 これを御覧下さってどんな風に、この作品からお感じ頂いても、私はありがとう御座居ますと、御礼申上げます。叫ぴを聞いて頂けた側の一人として、無論戦争の讃美者ではありませんと念のため一言、附け加えさせて頂きます。
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